人事制度の構築や浸透化、人材育成を数多く手掛けている経営コンサルタントが執筆する「コラム:人事屋のひとりごと」。登場する組織はフィクションです。人事屋の視点と分析をちょっと毒入りの読み物としてお楽しみください。
あるカフェ・レストランの運営を取り仕切るマネジャーから、ぽつりとつぶやくような言葉が出てきた。
その一言が刺さったのは、痛烈な叫びとして聞こえたからだ。
なぜなら、「公と民のねじれ」がこの会社の人事制度の歪となっているように感じたからだ。
この法人は、「公益事業+収益事業のハイブリッド経営」をしている。
片や、障がい者授産施設として補助金ベースの事業をしている公益部門。
片や、カフェ運営やパン工房といった市場原理の中で勝負する収益部門。
そして両者を、ひとつの人事制度で束ねている。
…まるで、和服と戦闘服を同じクローゼットに入れているようなものだ。
カフェ運営部は地域の福祉拠点を兼ねて運営されている。地元の野菜を使い「地産地消」をアピールしている。形式上は就労支援B型の施設という位置づけだが、地域住民向けのビジネス基盤をつくることも期待されている。カフェ運営部から出てきた不満は、主に本部が設定する根拠のない売上目標とその責任の所在だ。
「ヨソへ行けば、同じ仕事でも月収はもっと上がるはず」
本部からは利用者に自立支援をサポートする役割や地域ビジネスの基盤をつくることを期待され、収益部門として事業収支をプラスにすることを求められている。法人内での異動を円滑にするため、収益部門と公益部門は同じ人事制度で運用しているが、それは返って採用競争力やリテンションにおける対策の柔軟性を欠いているようにも見える。福祉事業の標準的な等級フレームをベースとしている人事制度は、当然同じ給与テーブルで運用している。成果連動や繁忙手当がないため、カフェ運営部の報酬水準は同業他社の水準よりやや低い。
つまり、繁忙の波も業務の変化も激しい現場を、決められた手順に従って決められたことをすれば評価され、報酬は上がる、安定が前提の制度で処遇しているのだ。つまりこの職場では、お客様の思いの先を読んで対応しても評価されない代わりに、手順通りに紅茶を入れると成果とみなされる。まるで紅茶の抽出時間がキャリアを決めているかのようだ。
人事制度というのは、何も言わない。でも、“どのような働き方を期待するか”を、語るものだ。
この法人の場合、制度はこう言っている。
「外部環境の変化の波に対応して乗り越える人よりも、決まったことを決められた通り行う人に報いるよ」「変化?そんなものはほっておけ」と。
確かに、公益部門の人材は手順通りに業務を行い、事故のない運営による安定感、経験や人当たりがもたらす利用者や家族との信頼関係が事業成功の鍵である。しかし、収益部門は真逆だ。成果を生む鍵は、環境変化を先読みする先見性、変化を取り入れる柔軟性、顧客の要望を取り入れてサービスを刷新し続ける即応力だ。
つまり、この法人は二つの異なる「成果を生む人材像」を追いながら、ひとつの尺度で測ろうとしている。ある意味、歪が出て当然の状況だ。
カフェ運営部の若手社員がぽつりとこぼした言葉は、人事制度の“黙殺力”を物語っている。
制度の怖さの一つとして、「無意識の価値観」を増幅させることがある。人事制度は何も語らないのではなく、何を優遇しているのかを語っている。
私は時折、制度設計の現場でこう問うことにしている。
「この制度を10年続けたら、どういう人が残って、どういう人が去りますか?」
「どんな働き方をする人を、優遇したいですか?」
この法人の場合、優遇されて10年後に残るのは——
・手順通りに日々の業務を行う安定志向の人
・変化を避ける人材
去るのは——
・変化を読み取り、変化に対する適応力のある人
・成果に応じた報酬を求める人
言い換えれば、公益部門の論理に合う人だけが残り、収益部門の優秀層は消えていく。
人事制度とは、組織が「何を是とし、何を切り捨てるか」の鏡である。
鏡がゆがめば、写る顔も、歪む。
いや、違う。
人事制度自体は機能している。
組織が強みを発揮するための人事制度になっていないのだ。
いま必要なのは、制度の作り直しではない。
“何を評価したいか”という、本部の経営陣が持っている価値観の見直しである。
今日もまた、「人事の処方箋」と向き合う。
本部と価値観を見直すのは、容易なことではない。過去の成功体験や栄光を否定せず、ともに新しい世界に向かう体制をつくることがゴールだ。
効きすぎて副作用が出ないように、薬の量と質は、慎重に調合しなければならない。